天満の内科・ペインクリニック・リハビリ
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院長ごあいさつ

この街に寄り添い気軽に相談できるクリニックへ

この街に寄り添い
気軽に相談できるクリニックへ

初めまして。
笑顔の森内科クリニックの丹羽陽児と申します。

大阪市北区池田町 ローレルハイツの前で内科 ペインクリニックを中心とした診療をさせていただきます。
ここは妻の生まれ育った地です。
私自身も、結婚後、子育てをしながら、天満に15年ほど暮らしている中で、
活気と人情味あふれる素晴らしい土地だと日々感じてきました。
そして、この土地の魅力にひかれ、ここで開業を決めました。
2024年から解体を始め、2026年3月に建物がようやく完成いたしました。
そして、2026年6月より、笑顔の森内科クリニックとして、診療をスタートいたしました。
この地で開業できることを大変うれしく思っています。
2年にも及ぶ、解体工事、建築工事、クリニックの機器の搬入などでは、近隣の皆様にはご迷惑をおかけしました。
誠にすいませんでした。
今後は、地域に貢献できるよう努めて参ります。

私は、2004年に医師になりました。
特定の臓器や病気だけでなく、全身を診ることができる医師、そして患者さんの容態が急変した時に、命を守れる医師に憧れてきました。
そういう理想の医師になれるよう、これまで幅広い医療の分野に携わってまいりました。
その中でも主に、麻酔科、集中治療科、ペインクリニック、ER(救急診療室)などで勤務をしてきました。
まず、人間・生命にとって最も大切な呼吸や循環の治療や管理方法を、麻酔、集中治療で学びました。
ERでの勤務では、急な体の不調を訴える患者さんに、原因を調べ、適切な診断と対処を行い、
症状を緩和させること、命に係わる重大な病気を見逃さないなどを、学び実践してきました。
また麻酔、ペインクリニック科では、ブロック注射をはじめとした痛みの治療を勉強してきました。

今まで学んできたことを生かし、体のどんなお悩みも気軽に相談できるクリニックを目指しています。
そして、この地で、みなさまのお役に立てるよう、日々頑張って参りますので、何卒よろしくお願いします。

笑顔の森 内科クリニック院長 丹羽陽児

院長プロフィール

神戸市垂水区生まれ
灘高校卒

2004年3月
大阪大学医学部卒業
2004年5月
天理よろづ相談所病院研修医
2006年5月
大阪大学医学部附属病院麻酔科
2007年4月
大阪急性期総合医療センター麻酔科
2009年4月
守口敬仁会病院麻酔科
2020年4月
大阪急性期総合医療センターリハビリ科
2022年11月
大阪市内病院にて日常診療・リハビリテーションに従事
2026年6月
笑顔の森 内科クリニック開院

私の経歴

小学校まで

神戸市垂水区で、明石海峡と、その向こうに淡路島が見える土地で育ちました。
自宅からすぐの市立小学校に通いました。
小学生時代は、自転車に乗ったり、ミニ四駆やラジコンで友達と遊んでいました。
自宅の近くに大きな造成地があったので、そこでモトクロスの真似みたいなことを自転車でよくしていました。
自転車で土の山から勢いよく下ったり、大きな水たまりの中を走ったりと、
中学受験とは縁のない、のんびりとした小学生時代を過ごしました。
二歳上の姉が、病弱だったため、入院のお見舞いに病院に行くことが多く、
医療の世界に触れることがありました。
病気を治す医師という仕事はかっこいいなと、ぼんやりですが感じていたと、記憶しています。

中学時代

自宅近くの公立中学校に進学しました。
中学の勉強では、特に算数が楽しいと思うようになりました。
それまで灘中学、灘高校の名前は知っていましたが、自分とは無縁の存在・世界だと思っていました。
それでも、こつこつ勉強して、成績が伸びるにつて、
灘高校という世界にチャレンジしたいと思い、がむしゃらに努力をしました。

高校時代

がむしゃらに勉強し、運も味方をしてくれて、なんとか合格できました。
高校時代は、比較的のんびりと勉強していました。
それでも、卒業生の先輩や、同級生、恩師の影響もあり、
それまで漠然とした医師へのあこがれが、
医学部を受験し、医者になりたいと、真剣に思い始めました。
初めて自分の夢を意識した時でした。

京都大学時代

医学部受験は、みごとに失敗し、京都大学の工学部に入学しました。
もともと、もの作りが好きなので、土木建築を扱う学科を選びました。
医師になれないのなら、土木建築などで、大きな建造物を作る仕事も面白いと思ったからです。
ですが、医師への夢は諦められませんでした。
だから、京都大学に通いながら、コツコツと医学部を再受験するための勉強も始めました。
大学の勉強と、再受験のための勉強、両立は難しく、心が折れそうな時もありましたが、
努力の先には、悔いのない結果が待っていると、自分に言い聞かせて頑張りました。
医学部受験の本番は、思うように問題が解けず、またダメかとも、半分諦めましたが、
答案を全部埋めたのがよかったのか、何とか大阪大学医学部に受かりました。
医師になる夢が開けた!と、喜びが爆発したと同時に、
医学部受験に失敗した自分を拾ってくれた、京都大学には、恩義というか、中退することに後ろ髪をひかれる思いもありました。
京都大学の学科長に面談して、そのことをお話しました。
「若い人は、自分の夢に向かって、進むのがいい。夢が決まっているのなら、自分の気持ちに従いなさい。」と仰っていただきました。
京都大学を中退させてもらい、大阪大学に入学しました。

大阪大学時代

医学部での学生生活は、勉強や友人付き合い、どれも刺激的でした。
病院実習では、実際の患者さんを目の前に、患者さんから教えらえることばかりでした。
授業以外では、研究室で研究の手伝いをしたり、バイトをしたり、
仲の良い友人たちと夜遅くまで、大学の空き教室で勉強したりと、
楽しく充実した大学生活でした。
あっという間の6年間でした。

研修医時代

大学を卒業し、医師国家試験も無事に合格し、医師になれました。
最初、奈良県天理市にある天理よろづ病院で研修医の2年間を過ごしました。
私が、大阪を離れ、この病院を研修先に選んだのは、
研修制度がしっかりしていて周りのスタッフからのサポートを受けながらも
研修医が自ら考えて、主体的に学びながら働ける病院だったからです。
実際、全国から集まった、たくさんの優秀な同期や先輩、後輩が切磋琢磨しながら、働いていました。
彼らにインスパイアされながら、濃密な2年間を過ごすことができました。
医師としての基礎となった2年間でした。

麻酔科時代

2年間の研修を終え、専門を選ぶにあたり、
体の一番大事な、呼吸と循環を扱う科として
麻酔科の大切さを感じ、この科を専攻することにしました。
麻酔科の技術や考え方、知識は、どの科に進むにしても、ベースになるもので、将来役に立つと考えだからです。
そして、麻酔に従事しつつ、関連する集中治療やER(救急)の分野も同時に学びました。
医師は、常に勉強することが大切です。
常に研鑽しながら、弛まぬ努力で、診療に当たらないといけない、そのことを学びました。

リハビリ科との出会い

人は、不幸にも重い病気になると、集中的な治療が行われて、まずは病状を安定させます。
病状が安定すれば、次は回復段階となります。
どうやって元の日常生活に戻るかが、大切になります。
治療は、急性期治療から回復期、元の生活への復帰と、一本の途切れない線として考えないといけません。
回復のための治療や視点を身につけず、集中治療や、急性期治療だけでは、片手落ちだと感じました。
だから2020年から、リハビリ科に移りました。
脳梗塞で重い麻痺が起こると、現代の医療では、元に戻せません。
年を重ねるごとに、体力が低下して、歩いたり食べたりすることが、難しくなります。
当たり前ですが、薬や手術で治すことは、できません。
リハビリは、機能の回復を目指しながらも、その時点での体の状態で、どのように暮らしていけるかを、サポートする医学です。
どうやって自宅で暮らし続けられるか、どうしたら口から食べ続けられるか、その人らしく、その人が望む人生をどう送ることができるか。
この問いに、真正面から向き合うのがリハビリ科です。
病気の治療や予防だけでなく、暮らしまでを支え、はぐくむ医学です。
今まで学んできたことを、病院の中だけでなく、地域で活かしたいと思い、開業を志しました。
今後ともよろしくお願いします。

笑顔の森 内科クリニック院長 丹羽陽児